#もうかわいいなんて言わせない

この夏我々は奇跡に染まった。それはずっと近くにあったのに気づかなかった奇跡。

 

 

 

2016年7月30日、ジリジリと照りつける太陽の下、夏のTDCを熱く盛り上げる『Johnnys' Summer Paradise』が今年も幕を開けた。その舞台の先陣を切ったのはA.B.C-Zメインボーカル橋本良亮。2年連続のソロ公演にほんのちょっとの不安を抱きながらも一層磨きのかかった歌唱力で会場を幸福感で満たしてくれる、まっすぐに響く彼の歌声に包まれる至福の時間を想像し、すでに満足感に浸ったような足取りで変な余裕もあった。青い空に白い雲が浮かぶそんなさわやかな夏の空をイメージしたステージに彼のあどけない姿が見え隠れするような空間さえ楽しかった。——— なんてコンサートの感想を語りに来たわけじゃない。

 

その1時間45分の中で、キラキラ輝くみんなのはっしーを楽しむ至福の空間にどこか引っかかって違和感を感じるなにか震えたものがあった。橋五。今年も去年同様はしパラの振付を担当してくれた五関くん。そしてA.B.C-Zのコンサートも同時に手掛けてくれた五関くん。「ソロの振りとえびコンの振りが同じ曲で違うからちょー大変なんだよ逃げたい。けどもっと大変な人いるから。五関くん。」って言ってたはっしー。去年もそんなようなこと何回も言ってたけど今年の五関くんなんだか余裕すら感じたのは気のせいだろうか。はっしーは五関くんの組み立てた世界を表現できているのかなって去年は想ってた(ただの振付師だったんだな~わたしたち橋本担にとっては、たぶん橋本くんも)けど今年はソロの初日見たときからなんか違うなって思った。五関くんが橋本くんををわかってるのか橋本くんが五関くんを表現できているのか。代々木見て五関くんは自分の世界を橋本にはめ込みたいから 橋本なら表現できる範囲を知ってるし 橋本くんは自分にしか表現できない五関くんの世界を作れてるんだなって思った。会場とライティングと構成が違うだけでまったく180度別ものなんだもん実はすごい組み合わせなんだなって。「橋本良亮」にはめられる俺を表現したくて「五関晃一」を表現できる俺がいる。橋本くんがめちゃくちゃ魅せてくれてるのをわかったうえで、五関くん......!ってなるよね。

 

サウンドについて語らせたらうるさいんだけど、Crazy about you はコードと拍子変化のランダムテイストが新鮮で、特にサビ前 神秘的って言い方もおかしくないよね 高音が表現豊かで躍動へ迫る壮大なスローサウンドからいきなりEDMに突入する高鳴りと力強さが世界観をグッと引き寄せて まあ死にそうに好きなんだけど もう完璧なんだもん橋五。だから余計に景色として目の裏の裏くらいにまで張り付くように鮮明に鮮やかに残っているんだけど、中央で七色のネオンの中で羽ばたくように踊る繊細な橋本くんが最高にかっこいいけど真っ赤なライトに照らされてひとすじの道の上を存在感振りまいて進むギラギラな橋本くんも最高にかっこいいの。息を殺すってこれかの瞬間が色を変えて全く違う2つの形で存在してて。水のような潤いと深みに対する光のような鋭さと重み。天才か。 確かに踊りがうまくなったことは評価される部分だけどそれだけじゃない。ひとまず五関くんとEDMを掛け合わせたら大変なことになるらしいことは確からしい。今回両公演とも光を味方にしたよね五関。One by Oneのレーザーはまさか五関くんが自ら打ってるとは思ってなかったからこれもまた五関くん......!ってなってため息に変わったが。前半で「あれね、いっぽんいっぽん五関さんがうったんですよ~」ってさらっと言ったくせに会場の沸きが思った以上だったからドヤ顔する末っ子に頭抱えた。でいざ光と融合すると溺れないし自分の世界にするし、まったく知ってんなこいつら。ずる。からの期待を裏切らない良い意味で通常営業の待ってました!なDANCE!をここではめ込んでくるからね、ずる。全瞬間をこびりつくように映像として残していったんだもん痛いくらいに胸の高鳴りは消えないし困る。

 

 

ってなるとStay with me♡とかnaturallyとかも五関くんが振り付てるんだもんね なんて言うか、寒気。引き出しあんじゃねえか!!って。個人的にスタンドマイクの振り付けは前からやってほしかったから(ビジョン的には5人だったけど)、それにスタンドマイク好きなんですよ公表していらっしゃるご本人様なのですごく良かったんだよね、けど、橋本くんに持たせたらスタンドマイクを女性に見立てて扱ってくれているような男感の中の優しさや柔らかさがそれは自然と出る。「出ちゃう」って言うのがわかってる五関くんの意図的なやつだからこれもまた五関くん......!ってなる。こわ。スタンドマイクってなんでちょっとエロい目で見ちゃうんだろうねただの棒なのに、ね、五関くん。そう思うと秘密の愛のハート作る振り付けは僕がつけましたってふにゃふにゃな橋本くんが言ってた去年を思い出してなんだかホッとするわ。

 

 

「代々木のソロ見て泣いた」って言ってくれる五関担が多くて、五関くんの振りをあんなに真剣に必死にかっこよく具現化してくれるメンバーがいることに感謝って言ってくれるんだけど、こちらは違うよ五関くんにありがとうなわけで、お互いが生み出すものに対して勝手に感謝して感謝されて、そしてまたおかえししたところから始まっちゃったんだ、この化学反応。物理的な組み合わせを求める必要性のなさ。橋本くんしかステージにいないのにみんなが同じように五関くんも見えてるってすごいことじゃんね。五関くんの理想の橋本良亮に今まで以上に近寄れるようになったのかもしれないね。振り付けだけを仕事にしている人間じゃないわけで、彼もアイドルやってるわけで、自分だって出たいよってどこか思うじゃないですか。でも橋本のために尽くしてくれるわけで、でもその感情がある(ように見てる)からここまで見る側が震わされているのかもしれない、五関くんの感情も一緒に持ってきてくれてんじゃね橋本くん。「欲」として形にならないから。橋本の人間性があるうえでそういうところまで拾って信頼感に変わってるといいな相互で。

 

 

今年のはしパラ、自由気ままな歌うたいの歌声に溺れるだけじゃなく踊りに魅了されるさらに濃い空間になった気がする。ありがとう。ほら、もうかわいいなんて言わせないは五関くんに対してのメッセージもあったように見えてくるね これは挑戦状。さらに爆発的な化学反応が起きるのを期待しよう。ひとまず来月、残りの3回を存分に堪能しようじゃないか、橋五。

 

 

 

#コインロッカーベイビーズ

ルードウィヒの時「やるじゃん」だったものがコインロッカーで「すごいな」に変わってて。本読みからなにからメンバー含めた大人に囲まれて心配されながらベートーヴェンになっていったけど今回は違った。ハシが生きていた。

 

 

 

コインロッカーベイビーズ。原作は読まなかった。橋本くん外部の舞台できっと気合を入れてくる その中で表現して見せてくれるハシが私の中でのハシになってほしかったから読まなかった。村上龍の文章を頭の中取り込み始めたのは2日目が終わってから。読まないとダメかもしれないと思った。彼は何かを探しているようだった。私も同じ気持ちになろうと思った。コインロッカーベイビーズ。大きなテーマだった。ハシは苦しかった。原作は大ヒットベストセラーで何年もの間温められてきたらしい大きな作品に自担が抜擢されて心躍る気分で高鳴りを覚えた約9ヶ月前を思い出すとそれは軽率なやつ。でも嬉しかった。その時は嬉しかった。コインロッカーベイビーズ。舞台が決まって嬉しかった。

 2日目かな  レポで「ハシよかった。」をみて"ここから""まだまだいける"って思った。「ハシ」は橋本良亮に何かを教えてくれる気がした。まあ初日は橋本良亮としての衝撃をストレートに受け入れてしまったからそれどころじゃなかったけど。もう思い出したくもない。お洒落せなかあん。でも「まだまだいける」からハシが途中すごい勢いで揺れはじめたときはこちらサイドもかなり体力使ったわ。カーテンコールだけは橋本良亮に戻ってくれた初日、2日目だったけどこの辺からはっしーどっか行っちゃったみたいで戻ってこなくなったね。なんだろう、舞台が終わった後のさみしさが半端じゃなく残っていた。

 

 

 

 

 

 

青い舌

 

 

 

「ハシ」を表現するのに大事な曲。東京に自分を探しに来たキクにDという男を紹介して本当の自分、ホモという姿を教えるときに歌う曲。

 

 

 

 

はじめのころは「橋本くんエロい」だった  橋本くんのパフォーマンスとして見ていたから。単純に橋本良亮として見ていたし、橋本良亮として歌って踊っていたから  ハシを作っていたから。どうにか表現しようと思ったんだろうね 明らかにセクシーという表現のやつ。それがいつの間にか体のくねらせ方も息づかいも知らない人になってて……それがたぶん始まって1週間くらい。ひとまず青い舌においての話。始まって1週間目はちょうど11日だから。その辺で大きな体の橋本良亮が小さなハシをぐっとつかまえて引き寄せ始めて抱きかかえたころ。「ハシ」を知りはじめたころ。舞台が始まって 音が消えた~って歌うけどたぶんハシじゃない、橋本くん。こちらサイドも橋本くんに会いに来た今日に喜びを覚えたばっかりだから。「僕はホモなんだよ」って聞いてやっと動く。キクにDを紹介する嬉しそうで恥ずかしそうなあの顔が腹立たしくも愛しい。音が鳴ると知らない人になる。たぶん青い舌から始まる。

 

 

 

消えそうに細く儚く透き通る声

 

やわらかい肌のよじれ 

 

切なくもどかしい瞳 

 

妖艶に揺れる髪の毛 

 

にじむ汗 

 

高鳴る鼓動 

 

見え隠れする羞恥 

 

あふれ出る愛しさ 

 

欲望に果てる性 

 

ぬくもりに包まれる快楽 

 

堕落していく情 

 

 

 

すべてに包まれてハシになる。この瞬間ハシにはまって橋本良亮がどっかいっちゃうんだ。その境界に落ちる感覚が心地よかったりする。広い広いコインロッカーの中を漂うハシが橋本良亮を抱きかかえる。きっと橋本くんもこの感覚がたまらなかったんだと思う。なにかに閉じ込められている今の自分を解き放てる場所がハシで  居心地よかったんだと思う。だから重たい人間はハシという着ぐるみをうまく着こなして爆発させているように見えるわけで、取りつかれたように好き勝手してるんだもん それは疲れる。 

青い舌でハシを取り込んだことをきっかけに彼はハシを探し始める。けど何か大事なものを落としてしまう、ように感じるのは私だけ?

 

 

 

11日。感情の表現が「やりすぎ」を超えられなかった土曜日。悔しさ。そして日曜日、あれだけの変化を感じた、振り幅のある芝居と向き合っている。それは誇らしい。

いつもいろんな演じ方を見せてくれる人だから抵抗はなかったけど今回わたしがわけわからなくなってしまったのは、その見せ方を単純に「楽しい」と思えない自分がいることに気づいたから。今回はえび座じゃないんだ。ハシを知らない。わたしの中の好きな"橋本良亮"が抜けないんだよね。ハシになろうとする姿に負担を覚えてしまう。だから私側に寄ってきたハシは好きーってなるけどひっくり返されると嫌気しか感じなくなる。模索している姿は見たくない。

11日の夜に見たハシは表現の演技が狂気に突き抜けていて、内にこもったものがそのまま内にこもってしまったように感じて、インナーへと向かう心情を外側へ打ち出していけるようにならないと舞台での演技には行き届いてないかなって思った。双眼鏡で見ないとわからないことたくさんやり始めると結果ピンぼけしちゃうんだなと。私たちはいつも双眼鏡片手にしっかり表情まで見たいって思ってるから気づくけど。

12日夜、泣いてた。泣く演技じゃなくて感情のままに涙を流しているんだって感じた時そこにあなたの表現するハシが居たよ。セリフだって変えてるんじゃなくて変わったんだよ、ハシが震えていたから、あなたの内面から外側へと。知らない人だったハシにここで出会った。

11日に見た姿は序盤から原形がわからなくなるくらい狂い方が激しいハシが幕が終わるまでそこにいて、正直あなたの気持ちが読めないのとそこから理解しょうとする間に迷いが生まれて受け入れなかった。怖かったという気持ちだけが残って悔しい。でも12日は途中狂いながらも最初に感じたちょっと弱くて可愛らしいハシの面影が感じられて狂ってしまう人生はなんだか切なくて淋しくて………その時に見た表情も聞いた声もあれが橋本良亮ができるハシなんだと思ったから、一言で言いたくないけど、よかった。あのくらいなんにも考えないで、いや考えてなかったとは思ってないけど、思考より行動が先になってしまったくらいでもいいんじゃない?あなたにとってはきっとハシになろうという思考が邪魔をしている。芝居らしいことしないほうがハシがいるんだもの。舞台なんだけどさ。

たった1日であれだけ変化をつけられることはすごい事だと思う。それは心からの驚きだったし、嬉しかった。芝居が好きなんだなって伝わったし、イキイキしてるのは確かだったから。自信に満ちてステージに立つ姿はホントに誇らしい。だから「もったいない」だけは感じたくない。11日の答えは「もったいない」だった。わたしはただのファンで観客でしかないからきっとくどいし重い。うざい。ただここをゴールにして欲しくないという想いを抱いてしまったからには答えが欲しかった。そうしたら12日はゴールがいきなり見えたような景色が映った。気持ちが揺れた。舞台っておもしろいな……

途中見に連れて行った妹に「橋本くんが、ハシじゃなくて橋本くんがほんとにあのまま死んじゃうんじゃないかと思って、怖かった」って青い顔して言われたときは笑っちゃったわよ。

 

 

 

 

今日は怖いよハシ。今日はなんだか優しいねハシ。今日はどうしたの落ち着いてるねハシ。今日は楽しいねハシ。毎日毎日生きているようにぶつけてくるものに必死でついていこうとする。それは少しわたしよりも歩幅が大きくなかなか平行線になってはくれない。盗まれた目玉を探す。蠅、食べてないけど食べる。時間が流れる。帰ってきたニヴァに静かに涙を流したハシ。「おかえり」って小さくつぶやいちゃってたハシ。キッチンに立つニヴァを後ろから優しく見て立ちすくむハシ。初日からほんとに変わったところ。そしてニヴァが大きく感じはじめたころ、包み込んでくれた。小さなハシを、そして私を、包んでくれていた。いつかに見た暗転直前のハシの頬に光ったひとすじの線はとてもきれいだった。暖かい顔だった。緊張して固くなっていたなにか重たいものが緩む瞬間。重すぎる人間が想うことは勝手で ここまで探られたくないものを探ろうとしていた1ヶ月の話だ。探れるものと探れないものがあるが圧倒的に探れないものが多い中での話をする。気持ちを寄せてみようとする  寄せた気になる。

 

 

ラストの「生きる」に答えがあった。震えた。嬉しかったが正しいかもしれない。最後だけはさ、千秋楽の「生きる」だけは、あの時だけはハシだけのものじゃなくて橋本くんの叫びだった完全に。頼まれてもいないことを不器用なわたしだからこう勝手に深みにつけ込んでしまう。それぞれでしかなかったものだからそれぞれで解決するしかないんだけど「生きる」が教えてくれたときは1ヶ月という短くも長い戦いに決着がついたようにそれはもう快楽の果て。途中でわたしはゴールをここにしないでって変な不安を抱いてしまったから怖くなってしまった。最後、わたしの理想通りに終わることばっかり考えてた。舞台は最後完璧にズレなくはまって完成するようなものじゃない、ガンプラじゃないんだから。ニヴァじゃないけど自分を見失い始めたときはかなり体力持っていかれてしんどかったし、アネモネじゃないけどわたしそんなあなたを殺してあげるって思った。だから彼に答えが見つかっているならそれでよかった。悩んで答えを出そうとしていた彼の姿は美しかったから、必死で食らいつこうとしていた姿はかっこよかったから。「裏切る」を知らないというのは嘘になるけど信じようと思った。全部どうでもいいと思った。大きな体の橋本くんは小さな小さなハシになって広い広い広い広いコインロッカーの中にとじこめられていたのかもしれないけどすべての思いを胸に涙でぐちゃぐちゃに駆けていった先には大きな海が見えた。ホンモノの橋本くんは小さくてハシの大きすぎる海のような真っ黒い世界につけ込まれて帰ってきたのは何もかもを振りほどいたような真っ白な大きな自分だったはず。いつも大きく見えるキクが小さくなった千秋楽のホワイト・ノイズ。ハシは大きかった。いつも小さかったハシは確実に大きかった。

 

 

 

 

生きる。

 

 

 

 

#自担

自担:ジャニーズ用語。自分が一番好き、または応援しているメンバー。

 

いざ書いてみようってなると書き始められない とにかく重たい人間の文章ほど理解不能なことは承知の上で打っている安心して。わかってもらおうとはしていないんだろう。テーマを探していたけどとにかく重たい人間にはそんなもん無数に見つかるんだけどさ ふと引っかかったのが1回目の更新にはそれはそれは胸やけ 「自担」。

 

 

ふ~ん そうなんだ 自分が一番好きなメンバーなんだ。こればっかりは結論、人それぞれなんだけどしょうがないんだよそうなんだから。なんだか我々はリアルとか現実とかに勝手に戻るよね。全部現実なのに。思うんだけど人間にはちゃんと人間な部分ってやっぱりあって、愛されたいとか温もりがほしいとか。自分はそうは思ってなくても自分の中にいる人間ってやつが知ってるんだよ。だから自分が生きるフィールドにしてはいけなくて というか生きるフィールドになんてならないことわかってる その人間ってやつがさ。1人のお気に入りのキャラクターとでも言えたら楽なのに そいつと過ごした いわゆる見てきた時間とか想いとかがそうさせない特別なものだって押し付けてくる。人間ってやつに反発する。 ほら、すぐ"過ごした"って表現するもんな。いちいち自分の時空にしようとする。だからこの時間が長ければ長いほど人間はかき消される。全部現実になれる。 楽しい。ってなる

 

彼らという他人の生きる直線上にいつしか踏み込んでしまったことが始まりでそんな他人の人生に自分の人生を見て自分の直線引いちゃったもんだから終わりなんて見えないとか言うけど直線ってどう頑張っても平行にしか伸びないから絶対に交わってないはずなのにね あいつの味わった苦しみも喜びも自分の直線にあって あいつの笑顔も涙も自分の直線で 知ったような顔するんだ。こんなんだから俗にいう他人ではない誰かになってしまう。そしていつしかその他人ではない他人という異性に… そう、厄介なのは性別が違うこと。  自分のリアルとか言うものに都合悪く引っかかってしまうのね こうなったら夢という夢でも本気で見させていただこうか。楽しい。ってなる

 

人間っていうバカ素直なやつが温もりとか個体である存在を求めるらしいけど自分の理想とかタイプとかを自担っていう実は1人のキャラクターでしかないものに当てはめて生きてきたからそれはもう遅くてすべてを一致させているんだ 例え本来の理想ではなくてもそれが理想だって言うんだよ そうだってことにするんだよ だって自担なんだもん。そのすべての対象がそいつであることに満足したいから。自担という個体を根底に置いてしまうから。心の底から気持ち悪いけどこんな人生しか歩んだことないからこんな人生しか知らない。楽しい。ってなる

 

って考えるとなにが一番好きなメンバーなの?自担が一番嫌い。最低だ。お前さえいなければリアルってものがもっとフラットになっただろうしおいしいねってつまみ食いを優雅に楽しめたんだと思うと嫌いだ。単純にどこが好きとかかっこいいとかで丸め込めないくらいの種を植えたお前が嫌いだ。常によぎる存在に勝手になってんじゃねよ邪魔すんな嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。でもそこまで作ったその種はどんなほかの人生にも代えることのできないかけがえのない出会いだから 自分が落ちたこんな人生を本気で生きようってなる。独占欲とか嫉妬心とかそんな感情が踊りだす以前のことで ましてや充実感とか満足感とかの表面にも掠らないくらい小さなところから始まったから すごいんだろうなこの重量。自分もあいつもまだまだ未熟で自分は確実にそのリアルってやつを生きていてあいつはとうとうわけのわからない箱に修められた時、出会いはいつだったかな~ ほら、また"出会い"って言うもんな。 まったく、永久に秤を探し続けてみようと思う

 

今更だがここでは別に恋愛感情どうこうの話をしているわけではない。選んでしまった直線の果てにはこんな結果もあるんだっていう話 最初から概念の違いが発生するならそれは自分の直線を生きる人でほとんどがそう 羨ましいことだよいいな。私の知っている自担を文字にしてみただけ ただどんな人にも同じくあることは好き嫌いで判断できない大切な深い感情をはち切れそうにしまって それはそれは持ち歩くには大変なもの

 

 

はぁ、、、だから自担は一番  愛する人